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─15─ 疑問

Author: 内藤晴人
last update Huling Na-update: 2025-04-06 20:30:00
そして、夜が明けた。

遥かに望む山の端がほのかに光り始める頃、『最後のとどめ』をさすべく残っていた蒼の隊精鋭は食事もそこそこに各々武装を整え始めている。

が、彼らを指揮するはずの司令官の姿がどうしても見あたらない。

不安げに周囲を見回すユノーに、声をかけてきたのはシグマだった。

「よお、坊ちゃん。大将起こしてきてくれないか」

はい、解りましたと一歩踏み出そうとしてから、ユノーはその違和感に足を止める。

確かに司令官は負け知らずの猛者だが、そんな人がよもや決戦を前にして寝過ごすなどということは考えられなかったからだ。

そんなユノーの心中を察してか、シグマは飽きれたような表情を浮かべている。

「いや、いつものことだよ。大将は決戦前になると寝坊する癖があるのさ。何だか知らんけど」

涼しい顔で言ってのけるシグマに、堅物の参謀長はあからさまに苦々しげな視線を向ける。

その怒りの巻き添えを食らう前に、ユノーは司令官の元へ向かって走った。

見えてきた天幕は、一軍の将が使うにしてはあまりにも質素な物だった。

何も言わなければここに指揮官が居るとは誰も思わないだろう。

だが、それとは異なる理由でユノーは不意に足を止めた。

小さな天幕から漂ってくる空気は明らかにおかしい、そう感じたのだ。

けれどこのまま立ちつくして、その人の目覚めを待つ訳にもいかないので、意を決してユノーは入口の幕を上げた。

そこから溢れ出てきたのは、草原では感じるはずのないかび臭くじめじめした空気だった。

あまりの悪臭に堪えかねて、ユノーは思わず鼻と口を塞ぐ。

そして天幕の中へ足を踏み入れると同時に、無数の思念が濁流のように無防備なユノーの脳裏へ流れ込んできた。

──生かして貰っているだけ有り難いと思え、罪人の子め……──

──お前は一体何人殺したか知っているのか? この虐殺者が……──

それから耳を塞ぎたくなるような下卑た笑い声が続く。

落ち着け、と自分に言い聞かせ、ユノーは固く閉じた目を恐る恐る開く。

果たしてそこには、うずくまりうなされている『無紋の勇者』の姿があった。

「閣下! 如何なされましたか?」

驚きのあまり、『禁句』と言われた言葉を口にしながらユノーは駆け寄り、その肩に手をかけて揺さぶる。

短いうめき声の後、
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